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「胎内やすらぎの家」について

ネットワーク前史kiroku


竹下玲子と小林ハルとの共演

「胎内やすらぎの家」について

 小林ハルの晩年の穏やかな終の棲家となったのが、開設間もなく入所した「胎内やすらぎの家」である。一端捨てた瞽女唄をここで晴眼者を弟子とし、瞽女唄の伝承を行った。今も瞽女唄を聞くことができるのは、この伝承を小林ハルに勧めた「胎内やすらぎの家」施設長・塚本文雄の力が大きい。塚本施設長の事はまた後で述べることにして、今回は「胎内やすらぎの家」のホームページに掲載されている、記念誌「胎内やすらぎの家・三十年の歩み」の巻頭の御挨拶文と思われる部分を引用し、その沿革などを紹介したい。

 「胎内やすらぎの家」も昭和五十二年四月開設以来、三十年の節目を迎え、このたび記念誌「胎内やすらぎの家・三十年の歩み」を発刊する運びとなりました。
 これも偏に、国・県並びに関係市町村はじめ後援会・各分野のボランティアなど多くの皆様の心温まるご支援とご指導によるものと衷心より感謝申し上げます。
 当施設は、昭和五十一年に志を同じくする政財界の諸先輩のご尽力により、社会福祉法人「愛光会」を設立し、国・県からの助成と地元旧黒川村からは建設用地を無償で提供いただくなど、県内外の多くの皆様からの慈善の浄財をいただき、昭和五十二年に県内唯一の養護盲老人ホーム「胎内やすらぎの家」が立派に完成し、全国で三十一番目の養護盲老人ホームとして誕生いたしました。
 三十年の歴史をふり返ると、開所式には秩父宮妃殿下(故人)のご臨席をいただき、昭和五十六年十月には皇太子殿下・同妃殿下(現天皇皇后両陛下)のご来訪を賜り、さらに昭和六十二年五月には常陸宮殿下・同妃殿下のご来訪をいただき、当施設にとっては誠に光栄で大きな原動力になりました。利用者にとっても皇族方からご来訪いただいたことは生涯において忘れ得ぬ感激であったと伺っております。
 胎内やすらぎの家は、昭和五十二年に開所してから利用待機者の増大により昭和五十六年に養護盲老人ホームを増設し、開設十年目の昭和六十二年には利用者の高齢化・虚弱化等により、養護盲老人ホームの支援サービスと併せ、特別養護施設として一貫した支援並びに介護システムを確立するために小規模特別養護老人ホーム「第二胎内やすらぎの家」を併設しました。さらに、平成十八年度からは改正介護保険法の施行に伴い訪問介護ステーション事業を立ち上げ、これまでの経験と実績をもとに質の高い支援並びに介護サービスの提供に努めております。
 福祉とは、哀れみや同情ではなく、その人に生きる希望を与え生涯にわたり尊厳をもって輝く人生を過ごされるよう支援することであると言われております。超少子高齢社会が進展する中、福祉を取巻く環境も大きな転換期を迎えておりますことから、多様化・高度化するニーズに応じた介護サービスの充実と施設の発展に努めて参りますので、皆様の一層のご支援ご協力をお願い申し上げます。
  平成十九年三月
社会福祉法人 愛光会
  理事長  高澤 正樹」

 施設の説明、入所案内は以下の通り。

 視覚障害者の方への専門的な支援を行い、快適な生活を送っていただける老人ホームです。
■定員  :60名
■短期入所: 4名
【ご利用対象者】
 65歳以上で視覚に障害を持ち、住宅や環境、また経済的な理由により在宅での生活が困難な方が対象となります。
 ※年齢は特別な事情があれば65歳未満の方でも入所できます。

 また、一応関連して、小林ハルが上施設に入所する前にいた「養護老人ホーム あやめ寮」についても簡単ではあるが触れておきたい。
 位置 新発田市豊町3-10-3
 開設年月日 昭和48年4月1日
【施設の目的】
 老人福祉法第15条に基づく養護老人ホームであり、65歳以上で、環境上の理由及び経済的な理由により居宅において生活することがが困難な方々を受け入れ、健全な日常生活が過ごせるよう養護することを目的としている。

 あやめ寮では晴眼者からいじめを受けることもあったが、胎内やすらぎの家ではそのような目に遭うことはなかった。(出典:小林ハル(語り)、川野楠己(構成)『小林ハル光を求めた一〇五歳 最後の瞽女』NHK出版、2005年。) ウィキペディア「小林ハル」の項より引用。

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